これまで自分に許していなかったことを許して何かをする時、私は、息子に初めてミルク飲ませた時の感覚を思い出してgoサインを出しています。
息子を産んだ後、産婦人科では母乳で育てるように指導されました。
当時は、ミルクを使わずに母乳だけで育てる「完全母乳」が最良とされていた時代でした。
出産に関する掲示板やコミュニティでも、完母(略語)という言葉が並んでいました。
ミルクだけで育てることは、完ミという。
母乳もミルクも使うことは、混合という。
完母を実行することが良い母、良い体、良い乳、ひいては子育てに対する良い姿勢とされている風潮でした。
当時の妊婦や産婦には、母乳の良さを並べた情報が過剰にあふれていました。
母乳を与えると言っても、なかなか大変。
よく見かけるような、幸せそうな授乳シーンの写真からは想像できないこともあります。
乳腺の調子が悪ければ乳量は少ない。
乳腺炎になったら、痛みがあります。
授乳時に乳首が激痛なだけではなく、ひどい時には両胸全体が常時激痛。
私はよく乳腺炎になっていて、そういう時には、出てくる母乳も膿が混じった色でした。
産婦人科でも、膿の混じった母乳でもミルクより良いから頑張れと言われました。
ミルクにすれば痛い思いをしなくていいのに、病院でも育児情報でも、母乳が最良だという情報ばかり。
1か月もしないうちに、精神的にも苦痛になりました。
私は、妊娠中から妊娠・出産掲示板を使っていました。
時代背景もあって、ミルクをあげてみたくても、あげることに抵抗がある人は私だけではなかったのです。
私のように授乳が辛くて悩んでいる人の投稿に、コメントがついていました。
「ミルクをあげるのに誰の許可も要らないんだよ」という内容。
世の中の「良い育児情報」のほとんどが「母乳にしましょう」と言っていたとしても、自分がミルクをあげると決めればいいだけという、見えていなかった見方が突然現れたのが衝撃でした。
何かにひどく悩んでいる時というのは、平常時よりも視野が狭くなっていて、心の柔軟性も失われています。
私は誰の許可を欲しがっていたんだろう?と、力が抜けたのでした。
こうして初めてミルクを作ったのですが、粉をお湯で溶く行為に罪悪感を覚えました。
ミルクのパッケージにも「赤ちゃんにとって、母乳が最良の栄養です」と書かれていました。
全てのメーカーがそう書いていたのです。
ミルクの粉を溶かしながら、「誰の許可も要らない」という言葉が私を支えてくれていました。
「ミルクを飲ませることにしたら私は絶対に楽」だと思えました。
哺乳瓶からミルクを飲む息子。
重責からの解放感がありました。
ミルクなら、他人が代わりにあげてくれることもできる!
妊娠中から我慢していたお酒も飲める!
乳腺が詰まるから避けていた、油っぽいものも食べられる!
(我慢してたけれど、背油ラーメンやチョコレートが食べたくて仕方なかった)
私の体にはミルク育児が最良だと、今は言い切れます。
母乳の良さを説いている人がよく言うのが、「ミルクは高い、母乳はタダ!」
これも、必ずしも正しくはありません。
授乳中はとんでもなくおなかが減りました。
ごはん以外にも、軽食が必要でした。
食べるものによっては、ミルク育児の方が安かったりしました。
「母乳が最良」と言いたい人とは、立場も状況も違うのだから勝手に言わせておけばいいのです。
専門の先生だから正しいとか、育児経験があるから正しいとかではない。
善悪もなければ、優劣もない。
多数派も少数派も関係ない。
自分というのはひとりの存在。自分にとってのベストが見つかればいい。
自分にとってなにが良いかは自分で選ぶ。
自分の選択を自分で許す。
本当はそうじゃない?
誰もが、自分のことは自分で、安心感を持って決めたい。
安心感が不足すると、自分で決めるのが怖くなる。他者の判断を取り入れたくなる。
例えば、私が何人も子供を産んでいたとしたら、ミルクで問題なく育児できた経験から安心感があるので、2人目以降は無理することなくミルク育児を選びます。
この体験は、以降も、自分にとって罪悪感があることを実行する時に思い出しています。
そして「あの時の、ミルクを初めて作る時の感覚!」というふうに思い出して、罪悪感を超える必要がある時に取り出して使っています。
授乳が辛かった時に見た、直接知らない人のほんの一言のコメントが、私の気持ちを変えてくれました。
その時だけではなくて、それ以降も力を与えてくれています。
こういう形のご縁もあるんだなぁと思っています。