一般女性がカメラマンにヌードを撮ってもらうなんてやりすぎ?自意識過剰?贅沢?―本音では撮られてみたいあなたのためのメモリアルヌード撮影

ヌード撮影と聞くと、どんなイメージですか?

  • 週刊誌のグラビア
  • 芸能人やモデル
  • ナイスバディ
  • 多くの人に見られるもの
  • 仕事で撮られるもの

…などが挙がるでしょうか

有名なヌード写真家の名前や、その人の撮影シーンが思い浮かぶ人もいるかもしれませんね。

そう、こんなふうに、一般人が気軽に撮るものではないイメージが多かったのではないでしょうか?


では、あなた自身はヌード撮影されてみたいですか?

例えば「自分の体でヌード撮影だなんて…無理」というのは、直接的な答えではありません。

「撮られたい」か、「興味ない」かが答えです。

「無理」と思う気持ちがあったら、ぜひ掘り下げてみてほしいのです。

ナイスバディだったら撮られたい、もっと若いうちだったら撮られたかったというような気持ちがどこかにありませんか?


もしそうであれば、ご自身の気持ちを丁寧に見ていってください。

本音の本音まで見るつもりで向き合ってみてください。

休み休みでもいいんです。

お風呂に入っている時や歩いている時など、ちょっとした時に「そういえば…」とか「あれっ?」というように、ご自身の本音が表面上に上がってきたりします。

本音につながるヒントが浮かぶ時もあります。

ヌード撮影と聞いて抵抗があった人でも、なぜかその後にヌード撮影に関する情報をよく見聞きするようになることがあります。

そういう事柄の全てが、あなたの中にある「隠れた気持ち」をすくい上げるためのヒントになってますよ^^

では、以降は、あなたの中にヌードを撮られてみたい気持ちがある場合や、撮られたい気持ちを新しく認識できた場合について書いていきます。

撮られてみたいのに、ハードルになっていることはなんでしょうか?

やっぱり有名人じゃないこと?

ナイスバディかと言われるとそう思えないこと?

自分なんかが撮ってもらっていいのだろうか?という気持ちも強いかもしれません。

私、おがすみもそう思っていました。


私が20代の頃だったでしょうか。

私と同世代の芸能人・Aさんの母親が、ヌード撮影をして公開したことが話題になりました。

「Aさんの知名度を使ってやりたいことやってずるい!自分は何者でもないくせに!」と思って否定的に捉えていました。

調子乗るなよ、という気持ちがいちばん強かったと思います。

この気持ちを持った本当の理由は、40歳頃になってわかりました。

「私もヌードを撮られてみたかった」のです!


この本音は自分でもわからないほど、心の深いところに隠れていました。

私も撮られたいから、Aさんの母親をずるいと思ったのでした。

撮られる理由も自分では特に見つかりませんでしたし、撮ってもらえる場もありませんでした。


これまで、ふんどし一枚の姿を撮ってもらった経験はあります。

ただ、私の体を撮ってもらいたい気持ちというより、ふんどしを身に付けている自分を撮ってもらいたい気持ちが強かったように思います。

自分のアイデンティティであるふんどし姿を記念に残したい想いがありましたが、自分の体には自信がありませんでした。

女性的なセックスアピールがあまりない上、幼児体形、身長は平均以下なのに座高高いタイプだし、妊娠線もある…

「写りが良いといいな…」というふうに、写真写りに関しては運頼みでした。


もし、自分で自分の体に見とれるような写真が手に入るとしたら、撮られてみたくないですか!?

(メモリアルヌードを撮られてみた私の心の声▼自分がこんなにプリケツだったなんて!!!!!!)

ラブバ在籍の女性カメラマン・すみさんによるヌード撮影は、その点心配いりません。

  • 個々のお体の美しさを捉えて、最大限に引き出してもらえる
  • ポージングでさらに魅力を引き上げてもらえる
  • お体のライン、凹凸、陰影がベストに見える光の向きを探してもらえる
  • 年齢と共に気になる体のハリも、ポージングや光でカバー
  • レタッチ(加工)でのカバーも加えて、アート作品のような仕上がりに!

私には、他にも、写真撮影に関して個人的に持っていた抵抗感がありました。

「撮影は指示されるもの」という思い込みで、撮影されることに良い印象を持っていないところがあったのです。

これは過去の経験から来ているもので、集合写真や写真館でカメラマンに指示されるのが嫌でした。


首が傾いているとか、あごが上がっているとか、姿勢を良くしてとか、笑ってとか。

そうして仕上がった写真も、写りが気に入らないことが多かったです。

だから「自分」と「写真撮影」というものの間に心理的な溝を作っていたところがあるんだと思います。

そのような場面でのカメラマンは「きちんとした写真を撮る」のが仕事でした。


体の美しさを引き出して撮ることに燃えているカメラマンがレンズを向けてくれる時、指示は全く嫌なものではありませんでした。

自分でも驚くほど素直に聞き入れ、納得して、ワクワクと興奮しながら撮影を進めることができるものなんだなと思いました。

ただ「撮る・撮られる」の関係ではなく、一緒に共同創造をしたという実感が残っています。

情熱的な監督と、自分に自信のある俳優のようでした。


撮影から数日後。

写真を受け取った瞬間「これが私!?」という、喜びにあふれた驚きが湧きました。

自分の体を「好き!」と心から思う気持ち

その純粋な気持ちは、自分への最高のプレゼントだと思いました。

自分だけでこっそり見返す宝物があってもいい、そういう気持ちになりました。

(見て見て!と公開するのもアリです。私もいろんな人に見せました。ここにも載せてるし笑)


ヌード撮影という体験は自分に自信を与えてくれましたし、心から気に入った写真というものは見るたびに自分の気持ちを高めてくれるのでした。

これがメモリアルヌード撮影体験…

何かの記念のタイミングに合わせた撮影でなくてもいいのです。

自分の望みを叶えてあげたこと、思い切って新しい体験をしたこと自体がメモリアルになるのです。


私の場合の具体的な撮影の様子は、別の記事に書こうと思います。

よい感じに集中していて、かつ、楽しく過ぎた刺激的な時間でした。

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